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週末のお馬鹿話20。

 投稿者:齋藤。  投稿日:2018年 2月17日(土)10時31分30秒
  041 02月16日

週末のお馬鹿話20。

 ここ最近はひっじょーに寒い日が多くなっています。実は寒くなると一人暮らしを始めた時のことを思い出します。足利に越して来てから、部屋の中で吐く息が白くなったり、温度が氷点下になったり、ということを初めて体験したという事がその理由です。布団から出たくないよー、といった状態です。
 その布団ですが、陽当たりが全く無い部屋でしたから、干す場所がありません。そのまま使っていると、何か生えて来てしまいそうな感じです。布団を干さないワケにはいかないので考えました・・・。考えて考えてひとつの答えを出しました。「そうだ、クルマの上に干そう・・・。」
 とある日曜日、家の前の道路にクルマを停めました。布団が汚れると困るので、ボディを雑巾で拭き、そして部屋から、布団を運び出しました。ボンネットからフロントガラス、屋根、トランクに至るまで、全て布団で埋め尽くしました。クルマのボディ自体が既(すで)に温まっているので、上からも下からも温められて、布団はポカポカになること間違いなしです。まさにグッドアイデア、「俺って天才!」状態でした。
 とても良い気分になった私は、半(なか)ばスキップ状態で、目の前のスーパーに夕飯の買い出しに行きました。ほんの数分後、戻って来た私の目に映った光景は・・・。
 布団に埋もれたクルマの前にたたずむ二人の婦人警官でした。
 「あ~、すみませ~ん。すぐ動かしま~す(*^_^*)」 「駐車違反です(-_-)」 「ほら、この奥が私の家なんですけど、全く陽が当たらないんですよぉ~(*^_^*)」 「駐車違反です(-_-)」 「ほんのちょっと前に停めたばかりなんで、まだ違反になりませんよね~?(*^_^*)」 「駐車違反です(-_-)」 「「え、なんで?大目にみてくれますよね?(*^_^*)」 「駐車違反です(-_-)」 「いや、そんなはずないです(*^_^*)」 「駐車違反です(-_-)」 「まだ5分も停めてないですよ(*^_^*)」 「駐車違反です(-_-)」 「停めた時から見ていたわけでもないくせに、決めつけないでくださいよ(*^_^*)」 「駐車違反です(-_-)」 「まだ違反にならないでしょ(*^_^*)」 「駐車違反です(-_-)」 「あ、このクルマ停めたの私じゃないんですよ(*^_^*)」 「駐車違反です(-_-)」 「あれ?こ、これ誰のクルマかなぁ・・・(*^_^*)」 「駐車違反です(-_-)」 ・・・。
 カワイイ顔をしているのに、何を言おうが聞き入れてくれない態度に、だんだんムカついてきました。そりゃぁ悪いのは私ですが、家の前で布団を干すことぐらい大目に見てくれたっていいじゃないですか。のどかな休日のワンシーンです。人情もへったくれも無いんだから・・・。
 ま、警察官たるもの、これくらい毅然(きぜん=しっかり)としていないとつとまらないのでしょう。いい加減な私とは大違いです。
 と、いうことで路上駐車したクルマの上で布団を干すのはやめましょう。
 私ももう少し毅然とするべきか・・・。
 良い週末を。
 ぢゃな。
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感謝しなさい。人にできる限りのことをしてもらうためにも

http:// 

 
 

週末のお馬鹿話19。

 投稿者:齋藤。  投稿日:2018年 2月17日(土)10時30分44秒
  040 02月09日

週末のお馬鹿話19。

 今ではすっかり色気から遠のいてしまったくそじじー齋藤ですが、色気づき始めた頃は、バレンタインともなるとそわそわして、いてもたってもいられませんでした。「義理チョコ」 というものが存在しない時代です。
 学校にいる時に直接もらえないと、「きっと下駄箱や机やロッカーの中に入っているんだ」 と思っていました。それでももらえないと、「きっとウチに持ってくるんだ」 と思い、またまたそれでももらえないと、「きっと今日の夜にポストに入れに来るんだ」 なんて思っていました。そして翌朝、ポストに何も入っていないと、「昨日の放課後、学校の机や下駄箱の中に置いていったヒトがいるんだ」 と思いながら登校する、まさに自意識過剰の色ボケ少年でした。登校後、学校に何もないのを確認して、やっとあきらめをつけるのです。本当にお馬鹿で困ります・・・。そんな私が初めてバレンタインチョコをもらえたのは、小学校5年生の時でした。
 「ねぇ、たっくん、放課後音楽室に来て」 昼休み、同じ5年7組の女子が半(なか)ば強引に声をかけてきました。「あ、うん・・・」 そして放課後になりました。
 「なに?」 「あのね、カオルがたっくんにチョコレートあげたいんだって」 「え”っ?あ、そ、そーなんだ・・・」 音楽室のテレビの陰から四角い箱を持ったカオルさんが出てきました。「はい、これあげる」 「あ、ありがとう」
 「なに?なんだったんだよー」 「ん、なんでもないよぉ・・・、かえろかえろ!」 なにくわぬ顔で友達と家路につきましたが、心臓はばっくんばっくんでした。団地の階段を4階までかけあがり部屋に入って、包みを開けると、・・・。そこにはハート型のチョコレートが入っていました。
 さて、ここからが問題なのでした。
 もらったのは良いのだけれども、その後どうしたら良いのかがわかりません。その日以降もカオルさんとは、「女性」 を意識することなく遊んでいました。やがて卒業して、カオルさんはF葉学園という都内の超お嬢様中学校に進学していきます。そして、自然と会わなくなっていきました。
 ホワイトデーというものの意味と存在を知ったのは、そこから数年後のことです。 「あ、しまった。カオルさんに返事もしてないし、お返しもしていない・・・」 と思った時には、時すでに遅し、私は彼女の精一杯の 「告白」 を、さらっと流してしまったかもしれないのです。そんな私に対してフツーに接してくれていたカオルさんは、今思えばスッゲーいい女子なのだな・・・と、思ってしまいます。スラリとした姿に、茶色いサラサラの長い髪の毛が印象的でした。
 20年程前、舞台女優になって活躍している、という話を聞きました。その後も活躍している様です。実は数年前、ネット上で再会を果たすことができました。今でも女優として舞台をこなしています。当時は 「好きだ」 ということをきちんと意識出来ない未熟な少年でしたが、今思うと、明らかに好きだったようです。
あ“っ!女優を妻にするチャンスを逃した・・・。
 良い週末を。
 ぢゃな。
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すぐに人を判断しないこと。あなたがばかにしている人の話をよく聞いてみるといい。大切なことを教えてくれるはずだ

http:// 

 

週末のお馬鹿話18。

 投稿者:齋藤。  投稿日:2018年 2月17日(土)10時29分58秒
  039 02月02日



 セキセイインコのぴーちゃんは、私が中学1年の時、我が家にやってきました。と言っても買いに行ったのですけれども。まだ自分でエサを食べられない状態なので、手の上に乗せて、お湯でふやかしたエサを耳カキのようなヘラで与えるのが、私の日課になっていました。
 「はい、ぴーちゃんごはんだよぉ」 「ぴーぴー」 「おいちーでちゅかー」 「ぴーぴー」 「はい、もっとたべてくだちゃいねー」 「ぴーぴー」 「かわいいでちゅねー」 「ぴーぴー」
 会話になっていません・・・。それにしても、どうして子供やペットに話しかける時って、こういった口調になってしまうのでちょう。
 自分でエサを食べられるようになった頃には、すっかり慣れてきたので、私が部屋にいるときはカゴの扉は開けっ放しにしていました。私がぴーちゃんぴーちゃんと呼ぶものですから、そのうち彼もぴーちゃんぴーちゃんと鳴くようになりました。お、コレは面白いと思った私は 「たっくん」 も教え込みました。部屋の中で、じゃんじゃかじゃんじゃかとギターの練習をしている私の横にきては、右手の動きに合わせて、一緒にアタマを上下させているぴーちゃんでした。
 なんだかんだと私が就職するまで一緒にいたのですが、本校に勤めるようになり、足利に住み始めてからは、当時母と住んでいた浦和のアパートに残してきました。それでも週末浦和に帰るたびに、カゴから出して遊んでいました。
 ある日、帰宅すると母から 「ぴーちゃんが大変よ」 と電話が入りました。着替えもそこそこにしてびゅびゅーっと実家に向かい、ぴーちゃんのカゴの前に・・・。そこにはカゴの床の上で横たわっているぴーちゃんがいました。木にとまるチカラもないのです。
 そーっとカゴの外に取り出し、手のひらで包み込みました。いつもお互いに鼻先を突っつくような形で、ちゅんちゅんとやっていたので、私の鼻先にぴーちゃんの顔を近づけましたが、苦しそうに呼吸をしているだけで、首を動かすこともできないようです。そしてしばらくした後、小さく 「ぴー」 と鳴くと、私の手の中で深い眠りについてしまいました。
 ぴーちゃんと過ごした年数は14年間、諸君の年齢とあまり変わりません。思春期というか、人生のうちで最も多感な時期を一緒に過ごしてきたので、ぴーちゃんとの思い出は数知れない程あります。隣の部屋にいる母に聞こえないように、声を押し殺してひくひく泣いていたのを覚えています。
 それにしてもセキセイインコが、これほどまでに長生きするものだとは知りませんでした。アパートの脇に勝手に穴を掘って、ぴーちゃんを手厚く葬(ほうむ)りました。
 それからもう20年以上が経ちますが、近所を車で通る時は、今の部屋の住人に気付かれないように、こっそりと手を合わせに行っています。
 職務質問受けたらどうしましょ・・・。
 良い週末を。
 ぢゃな。
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人のやり方など関係ない。必要なことさえしてしまえば、あとは好きなようにすればいい
 

ひとつの人生。

 投稿者:齋藤。  投稿日:2018年 2月17日(土)10時29分13秒
  038 02月01日

ひとつの人生。

 我々ニンゲンは、「人生ってなんなのだろう」 「生きているってなんなのだろう」 としばしば考えることがある生き物です。私も寝る前とか、寝起きとかに布団の中でふと考えてしまうことがあります。「このままでいいのか?」 「おい、お前は今の生活に満足しているのか?」 と・・・。別に自分が今まで生きてきた、この人生や生き方を否定するわけではないのですが、今の私につっこみを入れてくる、もうひとりの私がいるのです。
 諸君に話をしたことがありましたっけ?実は私、人生は120年だと思っています。というか、そこまで行き続けてやろうという意気込みです。しかし120年も生き続けると、ニンゲンってどーなっちゃうのでしょう。ほぼ妖怪と化しているかもしれません。70年後に妖怪になっているであろう、そんな私は52歳なので、まだその半分に到達していないということになります。
 まだまだ残りは今までの人生の倍以上もあるということになります。ですから↑に書いたように、もうひとりの私がつっこみを入れてくると、「よっしゃぁ、この先の人生はどー過ごしていこうかなぁ?」 なんて反応してしまうのでしょう。なぜかというと、生涯ひとつのことをやり遂げるのもひとつの人生、新しい生き方を選択するのもひとつの人生ですから。
なぜいきなりこんな話をするのかというと、それにはワケがあります。実は4月に諸君の担任を持った時、私には諸君に対するひとつの目標がありました。「この1年間で、諸君の半分以上に将来就きたい仕事をイメージさせる」 というのがその目標でした。現在三者面談を行っています。そしてもうすぐ来年度の系選択調査も行います。
そんな中で、まだ将来のイメージが決まりきっていない諸君がいる・・・。これは完全なる私の惨敗です。くやしーぞ。
 それなので、そんな諸君はとりあえず、もう一度自分自身に問いかけをしてみて下さい。自分が将来どうなっていたいか、ということです。少しでも、「ひとつの人生」 を決められるように、ここいらでもう一度自分を見つめ直して下さいな。そして 「ひとつの人生」 を選択してください。
 けれども、私のように50歳を過ぎても、「この先の人生どーしよっかなぁー」 なんて考えているヒトがいるのですから、諸君の中に決まっていないヒトが居てもおかしくないかな、とも思ってしまう矛盾だらけの私もいます。
 け・れ・ど・も・・・、そ・れ・で・も・・・、よくよく考えれば諸君と私は全く違います。私はすでに 「教師(立派な人間とは程遠いいけれども・・・)」 というひとつの人生を選択しています。諸君はこの先、自分が過ごしていくであろう、「ひとつの人生」 を選択していかなければなりません。「なんでもいいや」 「どうでもいいや」 「なるようになればいいや・・・」 では困るのです。
 そして私のようにひとつの仕事に就いたはいいけれども、更にそこで、「この先の人生どーしよっかなぁー」 なんて考えるのはアリだと思います。
なんてことを考えている今日この頃でした。
 ぢゃな。
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あなたがあなたであることに満足しなさい。誰かに満足させてもらおうとしたところで、決して満たされることはありません
 

素直。

 投稿者:齋藤。  投稿日:2018年 2月17日(土)10時27分31秒
  037 01月30日

素直。

 以前、注意は素直に受けとめましょう・・・的な話をしたことがあるような無いような・・・。今日はそのことについて、少し掘り下げてみたいと思います。
 私もニンゲンです。50年の人生の中で、数え切れない程の失敗を繰り返してきました。諸君だってニンゲンです。今までの人生の中で、同じくいくつかの失敗を繰り返してきたと思いますし、おそらくこれからも繰り返していくはずでしょう。
 そんな中でヒトに注意をされて 「なんだよ、うるさいなぁ」 と素直に受けとめられなかったのは、どういう時だったか考えてみました。大きく二つに分かれました。「貴方に注意されたくない」 と 「こんなのは注意されることではない」 です。
 「貴方に注意されたくない」 というのは、注意しているヒトにその資格がない時です。立ち読みをしている時に、「立ち読みするのは遠慮してくれませんか」 と、隣で立ち読みしているヒトに言われたら、 「はぁ?なに言ってるの?」 となりますよね。ま、こういうパターンは諸君の日常ではあまり起こらないでしょう。
 「こんなのは注意されることではない」 というパターンの方が、日常でよく起こりそうです。自分を含めて何人かの立ち読み客がいる本屋で、「立ち読みをするのは遠慮してくれませんか」 と、店員に言われたら、「はぁ?だってみんなやってるじゃん。放っといてくれるぅ?」 となりませんか。「自分に注意する前に、他のヒト達に注意してくれよぉ」 と思うヒトが多いかもしれませんね。
 これを分析すると、「ワルイコトだとわかってはいるのだが、みんながやっているからやってしまう」 「注意するヒトとされるヒトとのワルイコト度にずれがある」 ということが 「はぁ?」 となって、注意を素直に受けとめられなくなる原因のようです。
 諸君にあてはめてみましょう。たとえば、我々から注意をされるヒトは、何かしら注意をされなくてはならないワルイコト(部分)を持っているヒトです。諸君からしたら、みんなもやっている小さなワルイコトかもしれませんが、我々からしたら、みんなに注意しなくちゃいけないワルイコトなので注意をします。それでも 「はぁ?」 と感じてしまうヒトがいたとしたら、かなりの困りモノです。
 だってそーでしょ。ワルイコトに大きいも小さいもありません。ガム一枚盗ったってATM機一台盗ったって罪は罪です。捕まってしまいます。
 んで結局ナニがいいたいのか・・・・・・。
 教室でも学年でも、集団というものがあれば必ずキマリというものがあります。そのキマリを守ることを学ぶ場所が学校です。この先、諸君が社会にで出たら、キマリを守る時には、「我慢」 が生じることがあります。「みんなやってる」 「注意されることではない」 で済ませてしまわずに、「守りたくないけどキマリは守る」 といったスタンスを持つことができれば、ニンゲン的に成長していけるはずです。注意を素直に聞ける人という事を、更に心掛けていきましょうよ。
 ぢゃな。
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勇気を持って今を生きろ。そうすれば不安は克服できる。未来の不安は、未来の自分が解決してくれる
 

助走。

 投稿者:齋藤。  投稿日:2018年 2月17日(土)10時27分0秒
  036 01月23日

助走。

 これ、以前に話をしたかもしれません。だとしたらそれほど大切なことだと受け止めてください。
 助走って何でしょう?イメージしてください。あなたは自転車に乗っています。少し先の赤信号には、停止線で止まっている自転車があります。その後ろからちょろちょろと走っていあなた、その時信号が青に変わります。さあ、リードしたまま一気に走り抜けるのはどちらの自転車ですか、っていうハナシです。答は言わなくてもわかりますよね。ソレが 「助走」 なのです。次にやるべきことが決まっているのであれば、助走(準備)をつけておくほうがコトはうまく運んでいくのです。以下2つ、↓たとえば・・・、の話。

 「今日は金曜日。来週から試験だから、明日から勉強しよーっと」 というヒトがいたとします。土曜日になったので、試験勉強のために本屋に行きました。欲しかった参考書は在庫が無く、週明けに入荷すると言われてしまいました。その結果、試験勉強は月曜日からスタートすることになりました。←これは助走をしなかったヒトのパターン。

 「今日は金曜日。来週から試験だから、明日から勉強しよーっと」 というヒトがもうひとりいました。明日から勉強スタートなので、学校帰りに本屋に明日から使う参考書を買いにいきました。ありました、最後の一冊が残っていたので、買って帰りました。土曜日、朝起きてからその参考書をもとにスムースに勉強を始めることが出来ました。←これが助走をしたヒトのパターン。

 いろいろな意味で、またいろいろな場面で、「助走」 をすることというのは大変重要なことになってくるのです。諸君は認識していましたか。「今日1月23日は火曜日だし、雪で学校始まるの遅かったし・・・」 なんて思わないでください。もう来年度直前です。明日から、来月からなんて言わずに、もう今日から来年度をぶん回していくための助走期間にしてください。この学年の締めくくりの大切な時期は、「助走」 を意識して過ごしてもらいたいと思います。
 なんだかんだとあっというまでしたが、間もなく1年1組はおしまいです。うざったいじじーな担任だった面もあったと思いますが、諸君には感謝しなければいけないこともいくつかありました。それについてはそのうち話をします・・・。まぁとにかく女装を・・・、いや、助走を意識していくのよ~。
 さて、ここからは少しおまけの話です。来年以降、諸君がもし何か問題を起こしたり、注意を受けたりした時、ほぼ必ず問われること、「お前1年の時は誰のクラスだったんだ?」と聞かれることがあります。私としてはそんなことはどうでも良いことだと思っているのですが、そんなことを気にするヒトもいるのが世の中です。逆に良いことをして誉められた時にも、「お前1年の時は?・・・」 と言われます。そんな時には胸を張って、「1組です」 と言えるように過ごしてもらいたいですね。
てか、そもそも、「お前」 って呼び方自体が私には理解できませんが・・・。
 ぢゃな。
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勇気を持って挑戦を続けろ。過去の栄光に浸っていては、次の勝利が遠ざかる
 

23年前。

 投稿者:齋藤。  投稿日:2018年 1月23日(火)11時17分56秒
  035 01月17日



23年前の今日1月17日に何が起こったか、諸君はあまり認識していませんよね。生まれていませんもの。私は29歳の駆け出し教師でした。当時の私が何をして何を思ったか・・・。
 当時ひとり暮らしをしていた私は、早朝のニュースを軽く見たまま、出勤準備をしてそそくさと出かけてしまいました。職場に着いてから、「なんだか関西地区で地震があったみたいだねぇ」 なんてのんきに話をし、日々の仕事をこなしていました。今のように教室や職員室にテレビがありませんでしたから、情報が全く入ってきません。
 昼頃になり、ラジオを聞いたスクールバスの運転手さん経由で、その後の情報が入ってきました。被害者数は数百名単位だということ等など・・・。その後も続々と情報が入ってきます。入ってくる度に被害者の数が増えていきました。
 これはのんきに弁当食ってる場合じゃないんじゃないか?と、思いながらも、何もできない私がいました。半信半疑のまま、自分のこの眼で見るまでは事実かどうかはわからんぞ、と何も出来ない自分を肯定していたのでしょうし、事実を知りたくない・・・という恐怖心もあったのでしょう。
 退勤時間を知らせるチャイムが鳴ると同時に、とりあえず速攻で自宅に帰りました。電気も点けず、スーツも脱がず、仁王立ちのままテレビの画面を見つめる私の口から、思わず 「マズイよ、コレは・・・」 という言葉が出たのをはっきりと覚えています。
 恥ずかしい話なのですが、これが私の平成7年1月17日の行動及び気持ちの変化です。本当に情けないくらい恥ずかしい話です。同じ日本という国の中、地球単位で見たらほんの小さなこの土地の中で、これほどの大惨事が起こっていながら、その事実を事実として即座に受け止めることが出来なかったことがまず恥ずかしい。そして事実としてしっかり受け止めてからも、ただテレビの画面を見続けることしか出来なかったことがもっと恥ずかしいのでした。
 世の中で何か大きな事件や事故が起きると 「えっ、しょせんは他人事でしょ。私にゃ関係ないよ」 という気持ちのヒトは、諸君の中にはほとんどいないと思いますが、私はそんな気持ちを持ってしまっていた、サイテーのヒトだったのです。実際にこのサイテーの考えを持ったヒト達の影響で、震災の時の対応が思うように行かないということもありました。震災の現場を見てみたいという、興味本位のヒト達の車が混じったこともあり、急を要するこの震災時に1時間数センチしか車が進まないような大渋滞も起きました。
 「常に相手のこと、ヒトのことを考えられるようにしないといけませんよ」 なんて意味のことを、よく諸君に言いますよね。私自身、阪神大震災をきっかけにヒトや物に対する考え方が変わったといっても過言ではないとさえ思っています。諸君も、自分の周りで起きたどんな出来事でも 「ヒト事だ、私には関係ない」 で済まさずに 「もし自分だったら・・・」 という考えで、自分のこととして置き換えていくことを心掛けてください。常にそういう人間でいてもらいたいものです。
 1月17日、諸君の世代ではあまり印象深い日ではないかもしれませんが、日本という国にとっては、大きな意味を持った日のひとつです。心の片隅で構いません、覚えておいてください。心温かい諸君のことですから大丈夫だよな。
 ぢゃな。
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自分のことをちょっと遠くから見て。自分のことを好きになれるかい?好きになれないなら、今日から変わってみせると誓いなさい。そのとき感じたことに逆らわないで
 

気をつけよう。

 投稿者:齋藤。  投稿日:2018年 1月23日(火)11時17分26秒
  034 01月16日

気をつけよう。

 ↓これは平成19年、初冬の出来事です。当時の学級通信ほぼそのままを。(おねーちゃん=彼女、乗っている車=私のもう一台スカイライン)

 家に帰っていつものように、「さあ、呑むぞ」 とテーブルにグラスを置いた時でした。ぴょろぴょろぴょろぴょろぴょろぉ~、と携帯電話が鳴りました。見ると発信者は、おねーちゃんからでした。
 「もしもし、どうしたの?」 「事故った」 「え”っ!ケガは?」 「平気」 「相手はまだいるの?」 「いる。平気」 「警察は?」 「今電話してもらってる」 「んで、どんな事故?」 「前の車が急ブレーキかけたけど間に合わなくて後からぶつかっちゃった・・・」 「場所は?」 「いつも通っているセブンとローソンのある所」 ・・・。
 うわー!呑んでいる場合ではなくなっちゃいました。おねーちゃんが事故を起こしてしまいました。何度か事故を経験しちゃっている私なんかと違い、彼女にとっては初めての事故です。きっとテンパっているに違いありません。てかテンパっているはずです。私だって最初の事故の時はどうしてよいかわかりませんでしたし、頭の中は真っ白でしたから。
 即座に外出着に着替えて、洗濯カゴからさっき脱いだばかりの靴下を取り出して再び履いた私です。机上のグラスに後ろ髪を引かれましたが、そんなコトは気にしちゃーいられません。家を飛び出し、軽自動車に乗り込みました。現場までは小一時間、「待ってろよー。とにかくおまわりさんの言うとおりにするんだぞー」 という思いながら、「ここで自分が事故したり捕まっちゃったらモトもコも無いのだから安全運転ナリ」 と、エンジンをぶぉぉぉぉ~!とうならせ、現場に向かいました。
 着きました。いました。セブンの駐車場です。おねーちゃんと、ぶつけられてしまった学生さんがいました。警察の現場検証は終わっているということ、お互いの連絡先は交換済ということ、私の車の保険を使い、学生さんの車を修理させてもらうということ・・・、等などを確認して我々は現場を後にし、彼女の家に向かいました。そしてへこんでいる彼女がいます。
 「あ~、もう。なんでよりによって今日事故を起こしちゃったんだろう。もう・・・・・・」 「なんで?」 「だってさ、今日は最高の日だって占いだったんだよ」 「何言ってるんだい。最高の日だったからこの程度で済んだんでしょ。最悪の日だ、っていう占いだったらこうやって会っていられなかったかもしれないじゃないか」 「そうか、そういう考え方もありだね」 「その通り!」
 とりあえず落ち着きを取り戻しおねーちゃんでした。そうは言っても事故を起こした晩は結構クルものがあることを私は知っています。昨夜は一緒にいてあげたかったのですが、今日諸君に配る、この 「ポジ」 をまだ書いていなかった私がいました。「大丈夫だから帰って仕事してね」 という言葉をもらい、コレを書いている私がいます。
 それにしてもスカイライン君様々です。スカイライン君の顔は衝突の衝撃でひしゃげてしまっていました。直すのにはかなりお金がかかりそうです。けれどもね、体を張っておねーちゃんを守ってくれた彼に感謝です。諸君はこの先、万が一事故を起こしてしまった時は参考にしてください。
 それはさておき、人生前向き思考が大事なのだ。
 ぢゃな。
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人生に妥協はつきものだ。しかし、誤解してはいけない。譲らない部分があってこその妥協なのだ
 

弁当ライフ。

 投稿者:齋藤。  投稿日:2018年 1月23日(火)11時16分53秒
  033 01月12日



 週末ですが割と普通の話で。
実は中学生から高校生の頃にかけて、プロレスが大好きでした。どれくらい好きだったかというと、将来はプロレスラーになるのもアリかもしれない、と思いながら、ヒンズースクワットや腕立て伏せや腹筋を、毎日やっちゃうくらい好きだったのです。
 体育の時間になれば、早々と着替えて体育館倉庫の中のマット上で、プロレス好きな友人と技のかけ合いをしていました。レスラーの長州力さんが大好きだった私は、彼の決め技でもある、スコーピオンデスロック(さそり固め)という技を、いかに早くかけるか、ということに日々を費やしていました。そういえば、「気合いだ、気合いだ、気合いだー!」 で有名なレスリング選手、浜口さんの父、アニマルさんも、当時好きなプロレスラーの一人でした。
 今ではプロレス番組の放映時間は深夜になってしまいましたが、当時は金曜夜8時のゴールデンタイムだったり、土曜夕方5時の呑み始めタイムだったりしました。とにかく今よりも人気があったスポーツということだったのでしょう。金曜日はアントニオ猪木さんの主催する新日本プロレス、土曜日はジャイアント馬場さんの主催する全日本プロレスの放映日でした。
 どちらも観るのは好きだったのですが、私は 「元気ですかー(当時は言っていない)」 の猪木さん主催だった、当時局アナの古館伊知郎さんが実況だった、好きな長州力さんが出ていた・・・、等ということもあって、金曜夜8時の新日本プロレスを観ることが主でした。全日本放映日の土曜の夕方は基本ウチにいません。そこまでマジメな高校生ではありませんでした。
 そんなカラダ活発だった当時の私は、食いに食いに食いまくっていました。母が作ってくれた弁当は、2時間目が終わった休み時間に食べているか、先生の目を盗んで授業中に食べていました。昼休みは食べるモノがなくなるので、購買でパンと飲み物を買って下駄箱前等で、クラスの違うバンド仲間達とウダウダと過ごしていました。
出来るだけ昼休みは、諸君と一緒に教室で過ごしている私は、当時のコトを思い出しながら、ナニ気に諸君のお弁当を覗き見していると知ってましたか・・・。
 事情があってコンビニ弁当等を食べているヒトもいますが、基本的には親御さんが毎朝お弁当を作ってくれているのでしょう。前の晩のおかずのあまりだろうが、冷凍食品チンだろうが、それらのお弁当の美味しそうなこといったらありゃしません。私なんかは、母の作った弁当ほど美味しいものはないとさえ思っていましたから。いや、今でも思っています。そういえば受験の時はゲンを担いで、カツ(勝つ)をおかずにしてもらいました。弁当最高です。
 今の3年生の高校生活はあとわずかです。ということは、弁当のある高校生活もあともっとわずかということです。諸君の弁当ライフはまだ終わりませんが、気がつけば今の3年生の様な時期になってしまいます。今のうちから弁当ライフを楽しみ、作ったり用意してくれたことに感謝してけるようにしてください。
 良い週末を。
 ぢゃな。
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負けを認めよう。潔い敗北には、勝利と同じ価値がある
 

週末のお馬鹿話17。

 投稿者:齋藤。  投稿日:2017年12月26日(火)16時07分17秒
  032 12月22日

週末のお馬鹿話17。

 さて、今日で今年最後の登校になります。そんでもって2日後はイブなので、私なりのクリスマス話でも紹介します。
 大学生だった頃、塾講師のバイトをしていました。冬休みは冬季講習会で、朝から夕方までみっちりバイトです。当時はワープロなんてモノはほとんど普及していませんでしたから、テキスト作りが大変でした。それはさておき、毎年クリスマスムードが近づくと 「斎藤くーん、今年もお願いしていい?」 と、塾の隣のおもちゃ屋から、臨時のバイト依頼が入ります。塾長の兄が経営していることもあり、断れずに引き受けている私がいました。というか、当時お付き合いしていた彼女は販売業(サ○リオ)だったので、24、25日なんかに会う暇はありません。そんなこともあり引き受けていたのですが・・・。
 塾のバイトが終わった後、真っ赤なサンタクロースの衣裳に着替え、真っ白なクチヒゲアゴヒゲを付けて、帽子をかぶります。車一杯におもちゃを積み込んで、何十件もの場所をしるした地図を持って出発です。
 『ピンポーン』 「はーい、どちらさんですか」 「サンタクロースでーす」 「は?」 「あ、おもちゃの○○です」 「あ、あぁあぁ。△△ちゃーん、たいへんよー!サンタさんがきたわよぉ~!」 『ドタドタドタドタ・・・』 「わぁ、さんたしゃんだ、さんたしゃんだ!」 「は~い、こんにちは。いい子にしていたか~い?ほ~ら、プレゼントだよぉ~」 「わぁ~い!」
 どこの家庭に行ってもほぼ↑このような感じで、子供のゴキゲン取りをしてプレゼントを渡すのです。「お願いしまぁす・・・」 と頼まれて、子供を抱いて写真を撮られることもありました。そういや時間指定の家もありました。こんな風に24日と25日は、世のため子どものためにシアワセを運んでいた学生齋藤でした。
 今でこそ宅配ピザ屋とかその他モロモロの業者が着てくれるおかげで、サンタクロースの格好はあまり目立たなくなりましたが、当時は目立つったらありゃしません。オマケに私の車は真っ赤なライトバンだったので更に目立つこと間違いなしです。信号待ちでは必ずと言ってよいほどユビ指しされて笑われていました。結構つらかったのですが、そのうちに快感に・・・。
 そんなこんなで夜中の12時近くに家に帰りつきます。ひとっ風呂浴びて缶ビールを用意し、部屋の明かりを暗めにした薄明かりの中、バイト代と一緒にもらったクリスマスケーキを前にして、「はぁ・・・、ふぅ・・・」 と、ため息をついた後、ケーキにむさぼりつくのです。
 それでも妙な充実感があったのを覚えています。サンタの素質アリな私。
 数年前、横浜方面に行く機会があったので懐かしさもあり、その塾とおもちゃ屋の前を通りました。時代の流れのせいでしょうか、残念なことにおもちゃ屋は無くなっていました。私のやっていたバイトを引き継いでいるヒトはいないようです・・・。さみしい。
1月は6日(土)から登校開始です。持ち物は ツ ジ タ。
 良いお週末と良いお年を。
 ぢゃな。
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動揺もすべて相手に伝えてしまえばいい。そうすればコミュニケーションははるかにうまくいく
 

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